2013/12/11

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叔父が福童子を絵付けしたお、かわゆし。奥に見えるのはドウガミスミコさんのカップ。
今日は蕎麦猪口として。スミちゃんの器はもちろん買ったのだけれど、叔父のお皿は  
大人になってから「私が選んで・買った」お皿!と覚えている一枚。表は最小限と   
いってもよいくらいにシンプルですが、裏には緻密な模様入り。           



今日は「ぽち袋展」の制作をやっと始められた。〆切直前まで、何で作ろうか(プリント
ゴッコで?ステンシルで?版画で?)と考えていて、やはりハサミで作ろう、と決める。

チョキチョキと制作を進めつつ、この袋を使う人のこと・使う状況のことも、想像する。
叔父のお皿もそうだけれど、用の美?使うものは、絵が主張しすぎるのは粋でないし、 
かといって、自己をころせばいいかといえばそうではなく、作り手「らしさ」も    
感じられるとよい。                               

ぽち袋だとか、お皿だとか、「使うもの」を作ることと、額に入った絵など、     
道具や文房具のように実用することはないものを作ること、双方、奥深い       
世界だなあ、と思う昼ごはん時でした。                      





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